盛岡市内の建築設計事務所で、3年間修行した金田一が、
新年度から東京に行く事が決まったため、ささやかな送別会が開かれた。

「ワールドカップの時期に合わせて、フーリガンになるんだ」
とはじめは話していた金田一だったが、
目標とする建築家、石山修武(いしやま・おさむ)に少しでも近づこうと、
新しい自分を探すためにトーキョーへ行く事が判明した。
東京に行くことになったキッカケというものは特に無く、
事務所で勤務を始めた3年前から、すでに心に決めていたようである。

送別会では、小田島の新調した眼鏡がサイバーだったり、
小田島の注文の仕方が、
「まとめてチーズ系」「まとめてイモ系」「まとめて牛肉系」などといった、
偏ったオーダーだったり、
2次会のカラオケでは、板倉が「アイスクリーム盛り合わせ」を注文し、
それに男子ズが群がったりと、
現代時報なりに金田一を送りだしている様子だった。

(写真は「フーリガンになる前の金田一」

今度はたくさんの人に観に来てもらおうと、
次回公演に向けて今後のスケジュールを決定するため、
現代時報のスタッフミーティングが「レストラン・ググ」にて行われた。

今回の参加者は代表の高村と女優の板倉、そしてウェブ担当の平川の3人。
すでに食事を済ませた高村は「ケーキセット」を、
食事のためにここに来た板倉と平川は「カニエビクリームドリア」を注文した。
チケット体系や舞台美術など、議題は多岐にわたり、
コーヒーの切れた平川は2人に「おごるから。飲もうよ」と言って
ムリヤリに高村の注文をとりつけた。

2時間に及ぶミーティングが終わりに近付き、
伝票を見て財布を取り出そうとした平川は、
自分の財布がどこにも無い事に気付き、
「昼は自販機で・・・夕方に自販機で・・・」と、
今日一日の自分の行動を何度も反芻した。

高村と板倉が小銭を出すが、
【伝票記載の金額>みんなの集めたお金】という痛々しい結果に。
結局、知人をわざわざ呼んで無事に会計を済ませたものの、
そのあと会社で財布を発見するまで、
平川は「ションボリの臨界」を迎え続けていた。

(写真は「ションボリ平川とズガドビ〜ン高村(左から)」

?どんなにがんばっても、気持ちは完全には伝わらないのだから、
ウソをつくなんて、その伝えたくても伝わらない悲しみに対する侮辱だ。
常に正直であることが、その悲しみに対して取りうる、唯一の誠実な態度だ?
・・・なんて、思い込んでいます。
世の中には、ついたほうがいいウソもあるはずですが、
しかし、疑い深い性格がわざわいして、この信念は崩れません。
だから、この似非エッセイにも、本音しか書かないことに決めています。
脚色もしないことにしています。
第二回のとうもろこしの魅力について書いた箇所も、脚色なしの本音のつもりです。
でも、本音をすべて書くことはできません。
いろいろなことを心配してしまうから。
だから、本音を抽象して書いています。
簡単に言うと、本当のことしか好きじゃないのです。
でも、本当のことなんてよくわからない。
本当に「皆」が「本当だ」と信じてやまない信念や事柄は、この世界には「ない」から。
安っぽい言葉やペシミスティックな言葉に思えるかもしれないけど、
そういう意味では真実なんてないのかもしれない。
場合によらなくても、ウソなんてないのかもしれない。
自分は本当はこう思っていないかもしれない。
あの人は本当はあんな人じゃないかもしれない。
あの人は、自分の本心に自分でも気付いていないのでは?
そんなふうに疑い出せば、気が狂います。
そして誰も好きになれません。
疑いをどこまで徹底させていいか?
似たようなことをすばらしく考えた哲学者もいました。
でも、わかりません。
また、この疑問は次のように書き換えることもできます。
どこまで、上述した私の信念に誠実に生きるべきか。
つまり、どこまで本当のことを追求してもいいのか。
また、どこからが悪いのか。
難しい問題です。
多分、自分も他人を傷つけない程度にでしょうね。
いろいろ書きましたが、ようするに、
私はわがままなだけなのでしょう。
だれも私のことをうそつきなどと言っていないのに、
また勝手に書いてしまいました。